« 2007年8月26日 - 2007年9月1日 | トップページ | 2007年9月9日 - 2007年9月15日 »

2007年9月2日 - 2007年9月8日

2007年9月 7日 (金)

『コーラス・コンクール』完結編

教室ごとの歌声が音楽的なものに変っていったその頃から、山口放送はボクに地方企業スポンサーのCMソングの作曲を頼んで来たのですよ。「国語教師」のボクに…。(勿論、ボクは「音楽の先生じゃない」とは言わなかったけど(笑))

***

その内遂に、ドラマの音楽まで頼まれるようになったボクが、或る日、「あーァ、明日徒然草の授業か!と思わず口に出すと「えっ!音楽の先生じゃないのですかッ?とプロデューサーは絶句…。

***

こうして、国語の先生だったボクは何時しか「もう一度東京に出て、本職の作曲家になりたい」と思うようになった訳であります。

***

ハーイ。長い間、退屈さまでした。

Chorus_2
【写真】
各学年から美人(ち、違う!間違えた!)歌の上手な選抜チームで市民音楽祭にも出場する迄になったのだ。
指揮するのは、勿論「国語の先生」のボク。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 6日 (木)

『コーラス・コンクール』続き

蜂の巣をつゝいた様な「ワーワー、ガーガー」は広い校舎の中だけの事とはいえ、学校の周囲にも当然聞こえていたワケで…、

ある日「山口放送」が取材を申込んで来た

***

「三田尻女子高校はこんな変った催し物を、学校上げて取り組んでいる。お蔭で学校の雰囲気が明るく元気になった」というような紹介だった。

***

この放送をキッカケに、同僚達(…といっても殆ど年上ばかり)のボクに対する態度はガラリと変っていった。

***

やがて、教室ごとの歌声も、段々、音楽的なものに変り「鈴木先生、聴いて下さい」と各クラスから指導を頼まれるようになった。自分達だけの練習でも変れば変るもんですネ。

<つづく>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 4日 (火)

『コーラス・コンクール』

暫らくぶりの東京の暮らしは、「暑い!」ばかりでなく、なんとなく慌ただしいなぁ。

ところで昨日の「ブログ」に対して、なんと再び「次女」さんからコメントがよせられたよ。

いわく、「自分の全く知らない父の話がとても興味深い。早く次が読んでみたい。…でも、娘が読んでると思うと書きづらいかな?」だって。

それより、実は今日もブログをサボろうと思ってたけど少しは書かなきゃいけないかな?

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

クラス対抗・コーラス・コンクール』の企画が発表されると、生徒達は早速それぞれのクラスで選曲した曲目の練習を始めだした、
生徒達が何故あんなに一生懸命、歌に熱中しだしたのか?今でもポクは不思議なんだよね。

きっと女子高校らしく毎日が平和で、お行儀よく暮らしてた所にヘンな若い先生がやって来て、今迄と違った『非日常的』な放課後の時間が出現した事が、大いに刺激的だったんだろうね。

とにかく放課後になると、毎日、各教室から、一斉に合唱の練習が始まるのだから。
しかも全然違う曲をやるんだからね(苦笑)音楽なんてもんじゃない!
校舎中が、まさに「蜂の巣をつついた」ような騒音だらけになってしまうのだ。
同僚の先生達ときたら、最初皆「なんだこりゃ!」…と、唖然とした顔をしてたのが、その内 、ボクの顔を見て、ヒソヒソ話をし始める。
要するに「顰蹙(ヒンシュク)の嵐」だったというワケ。

「いや〜、えらい事はじめてしまった!」…と、ボクは毎日の放課後が身の縮む思いだったよ。

ところが、思わぬ「助け船」が出て来るのが人生のオモシロイ所だよね。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

その頃の写真が出てきたので添付しておきますね。

Ontomo002_2
写真① 音楽之友社の社員旅行にて…右は、特別世話になった中曽根編集部長

Ontomo001
写真② 雑誌編集時代
まだ病気になるなんて思ってもいない頃。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年9月 3日 (月)

「帰り支度」

明日の昼に、軽井沢から引き上げることにした。

幾つも作曲の宿題を抱えてやって来たのに、五線紙もあまり埋まらない儘、「持って帰る鞄」の中に逆戻りだ。

ま、それだけ切羽詰まってなかったと言えば言えるのだが…。

軽井沢用に、「東京では暑すぎる洋服」を持ってきたんだけど、さすがに今年は殆ど袖を通さない儘、「持って帰る鞄に詰めた。(軽井沢は東京より約7〜8度気温が低い)

それだけ今年は軽井沢まで暑かったという証拠だろうね。

…という訳で、今も帰京の為の荷造り中。

今日はブログの「おしゃべり」もこの辺で閉じさせてくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 2日 (日)

『女子高の先生』続き

昨日のブログを読み直してみた。
イケナイ!イケナイ!
また、ボクの「ひとりよがり」が始まった。

これでは、女子高の国語の先生が、「どういう訳で作曲家になったか?」に辿り着く迄に1年くらい掛かりそうだ。先を急ごう。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

故郷の病院で入院することを決めたボクは、東京駅まで送りに来て呉れた友人達の『励ましの声』を背に、「傷心の都落ち」をして入院生活に入った。
…その時の『励ましの声』が、後々、ボクの作曲家への転身の「切っ掛け」になるワケだが…。今は省略しておきます。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

2年間の入院生活を終えて、(実はここでも作曲家への道を歩む象徴的な事が起きるんだけど、これもいつか機会があれば書いてみよう)退院したけれど、元の編集者に帰ることは病気の再発を招くんじゃないかと怖くなり、大学時代に履修した「教員免許」を活かして、地元の「三田尻女子高」へ第二の就職をする。

ここから、ボクの「国語の先生」生活が始まった

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

男の戦場みたいだった雑誌社から、急に、何処を向いても女ばかりの「女子高」と環境が激変したボクはかなり戸惑った。

それでも、ボクの長所でもあり、最大の短所でもある「何にでも必死にノメリ込む」癖がここでも出始めて来るワケ。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

女生徒相手の授業に慣れて来ると、この平和な毎日が退屈になり始めてきた。

そこで新入りの教諭の癖に、校長と教頭に対して、ある提言をしてしまったのだ。
どんな提言かというと…

「今のわが校の生徒は、おとなし過ぎて迫力がないですね。学校をもっと活性化するために、“クラス対抗のコーラス・コンクール”をやったらどうでしょう?」という提案だ。

まだ、バレーボールがそんなに強くなかった時代の話だから、校長も「なんとか生徒に積極性を持たせたい。うん、やってみますか」…と、以外にもボクの提案は簡単に採用されてしまった。
「その代わり、鈴木先生、全てあなたが責任を持ってやって下さい。そして、これは放課後だけに限りますよ」と、釘をさされた。

ところがこの事で校内は大変な騒動になってしまうのだが…。

ゴメンナサイ! また長くなってしまった。
続きは明日まで待ってね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2007年8月26日 - 2007年9月1日 | トップページ | 2007年9月9日 - 2007年9月15日 »