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2007年9月 1日 (土)

『女子高校の先生…』

『世界女子バレー・ボール大会』で大活躍した“栗原めぐみ選手”の母校「三田尻女子高校」は、ボクが昔、教鞭をとっていた学校だ、とブログに書いた事がある。

その学校で「国語」の教諭だったボクは、どうしても『作曲家になりたい!』と強く思うようになった。
…それでは、女子高で国語を教えていたボクが、どうして「作曲家になりたい」と思ったのか?

話は何年か前に溯らなければならない。

* * *

大学を卒業したボクは【音楽之友社】という楽譜や音楽関係の書籍を出版、販売する会社に就職した。

そこでは、いきなり『教育音楽』という月刊誌の編集を担当させられることになった。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

雑誌編集の手ほどきは上司の坪内さんという部長から受けたんだけど、「鈴木君は、初めての仕事にしては憶えがいいな」とオダテられた。

実は、初歩的なレイアウトとか、校正のやり方など、高校の新聞部で経験があったのだが、その事は内緒にしてたせいだろう。

それでも、部長には怒鳴られ、教えられ、失敗しながら雑誌作りのイロハから叩き込まれ、夢中で憶えた。
そして技術的なことだけじゃなく、執筆者に原稿を催促するコツや、印刷屋さんに工期を急がせる「喧嘩の仕方」まで教え込まれた。
…ま、とにかく入社一年目は食事する時間も、眠る時間も忘れて雑誌作りを頑張ったボクは、次の年の四月に努力賞を貰い、その上、「“音楽芸術”の編集長に任ず」という辞令を貰うことになった。

ところが…「好事、魔多し」の諺どおり、ボクがその辞令を見た翌日の『社員健康診断』で、「肺結核、直ちに入院治療の要あり」という診断をされたのだ。

寝食を忘れ、仕事に熱中した報いがこれだった訳。

誰が悪いのでもない。ただ自分のコントロールが悪かった事も忘れて、ボクは会社の壁に貼ってあったその「編集長に任ず」という辞令を引き裂いてしまった
〜続く〜

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