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2007年9月

2007年9月30日 (日)

『歌の甲子園』&『ちあきなおみ物語11』

今日は、ボクの主宰する
「歌の甲子園」の新潟予選大会なので、早朝から家を出て新潟に行き、審査委員長をやってきたよ。

出席者全員の「採点」「講評」をやるのはさすがに疲れたよ。(出場者は全部で51 名でした)

上位2名の入賞者が、来年の全国大会に出場する権利をプレゼントされた。

今年の新潟地区の代表二人は強豪で、全国大会でも、かなり善戦すると思うよ。

Koushien_niigata
歌の甲子園詳細

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『ちあきなおみ物語』⑪   〜雨に濡れた慕情〜

いろんな経緯があって、とにかくデビュー曲を書く作詞家の候補が吉田旺さんと決まった。

後は彼の作品がボクの書くメロディーと「しっくり」するか、ボクの抱いてるデビュー曲のイメージに合ってるかどうかにかかって来た。

* * *
何日か前に、ボクは「メロディーを先行して作った」…と、書いたよね…。

ところが吉田さんは或る雑誌のインタビューで、「詞を先に書いた」と語っている。

何十年も前の話だから、確かめようもないが…。

まぁ、次のような事情だと思って下さい。

ボクは「出だし」は、この前にも書いたように絶対に「ミシラシラシラドーで行こう」と思っていた。

吉田さんの書いてきた詞の出だしが「雨の降る夜は」であった。

その後に続く詞が、ボクの考えてたメロディーに「ビッタリ」と合うわけはないので、その後のメロディーに、ボクがかなり強引な我儘を言って「詞を合わせて書きなおして貰った」に違いない。

もっと解りやすく言うと、二人は詞と曲の「キャッチボール」をして作ったという事ですね。

今となっては恥ずかしい話だけど、この頃のボクにはこんな傲慢な所があったので…。(今は違うと信じたいけど)

まぁ、こうして、デビュー曲『雨に濡れた慕情』が誕生した訳です、
〜つづく〜

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2007年9月29日 (土)

『同窓会』

今日は新橋の第一ホテルで「高校の同窓会」があった。在京の男女が約50名も集まったよ。

わざわざ山口県から三人の女性も駆け付けて来たよ。
少年(少女)時代の面影がしっかり残っている者も居たけど、「あんな奴いたかなぁ。誰だっけ?」というのも結構居て、さりげなく「変ってないね。今、何やってるの?」…なんて感じで、さぐりを入れながら話しかけてみたり…。

オモシロイもので、家に帰り着いた頃に、「あっ!さっき話してた奴は彼だったんだ。」なんて、名前を思い出したりするんだよね。
だけど、在校中に美人だった女性が、当時の面影を残していると、何となく嬉しくなるし、逆の場合は「年月は怖いもんだね!」と思ったりするんだよね(笑)
…と、いう訳で、ちょっとだけ、少年時代に帰った一日でした。

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2007年9月28日 (金)

取材

今日は「アサヒ芸能」の記者さんが、『ちあきなおみ』の特集をやるというので記事を撮りに来た。
ボクのブログで『ちあきなおみ物語』をみてくれてるんだそうな。
インタビューの後「ちあきさんとの写真を貸してください」との事だったけどボクのブログでこれからいろんな写真を出すのでそれまで勘弁して欲しいと丁重にお断りした。

だからこれからの写真はこのブログを見てくれてる人が最初ですよ。

〜つづく〜

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

お知らせ

作曲家仲間で「吾亦紅」(われもこう)のロングヒットで注目を集めている、杉本眞人氏とボクの対談を特別にホームページ公開しました。

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2007年9月27日 (木)

『ちあきなおみ物語10』

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『ちあきなおみ物語10』      ~赤坂のレッスン室~

隣部屋のKさんの事務所は殆どボクの事務所代わりみたいなもので、ボクに架かってくる電話の受け答えから、お客さんのお茶の接待まで、全部やって頂いた。

その時、甲斐甲斐しく面倒みて貰った素晴らしい事務の女性が、実は、今、作詞家・吉田旺」さんの奧様だから、これまた人生の不思議な縁ですねぇ。

言い忘れてたけど、この事務所の女性(つまり、今の吉田旺・夫人)が、これまた後で判った事だけど、コロムビアレコードの坂田部長の姪ごさんだったんですよ。

…という事は、よく考えてみると、「あのマンションの、あの部屋」は、全部、坂田さんの 掌(てのひら)の上」だったのかなぁ?

~続く~

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

Kさんの事務所と襖(ふすま)1枚で隔てられた、「ボクのレッスン室」の写真をお見せしよう。

Itou_yukari

写真は雑誌の取材で、「伊東ゆかりのレッスン風景」を撮影した時のもの。

もちろん「ちあきなおみ」も、赤坂のこの部屋で、来る日も、来る日もレッスンを重ね、デビューの後も、新曲が出来るたびにこのビアノで、レッスンしたもんですよ。

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2007年9月26日 (水)

訪問者がなんと4752人&『ちあきなおみ物語9』

9月24日のブログに「電車の中で化粧」の話を書いたらココセレブの推薦記事にして貰って、訪問者がなんと4000人になって仕舞った。

いや〜、こうなると「ボクの<ひとりごと>」も責任重大?

…でも、そんな事意識すると「書きたい事」がかけなくなるよね。

「いつもどおり!いつもどおり!」

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『ちあきなおみ物語9』〜新進・作詞家登場〜③

こうして、ボクは事務所を貸して頂いたKさんの紹介で、一人の若い青年に会った。

Kさんは「彼の本職はデザイナーなんですが、私から見てもとてもいゝ詞を書くので、出来れば一度組んで仕事して呉れませんか?」とボクに紹介して呉れた。

初対面の青年は「どうぞ宜しく、お願いします」と、「坊主頭」を丁寧に下げて、緊張気味の顔をほころばせた。

           *   *   *

これが後に「喝采」の他、数々のヒット曲を世に出した、作詞家「吉田央」さんとボクの初対面だった。(※吉田央さんは、後で「吉田旺」とペンネームを変えた。)

           *   *   *

ボクは、「じゃあ、取りあえずボクのメロディーに、後付け(あとづけ)で詞をハメ込んでみて呉れますか?」と問いかけてみた。

「はい、何とかやってみます…。」

あくまでも謙虚な吉田さんの返事に、ボクは半分は「余り期待もせず」、それでも後の半分は「どうぞ、いゝ詞を付けて呉れ!」という願望も抱いていた。

何せ、他の作詞家の「アテ」がまるで無かったのだから…。

〜つづく〜

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2007年9月25日 (火)

「関越道路、渋滞」

今日は午後6時過ぎに、車で軽井沢から東京へ向った。

元・弟子で、元・東芝レコード歌手の、岡田二郎君に、運転して貰う為に、浦和から迎えに来て貰った。

連休最後の日だから、多分道路が渋滞するだろうと、予想して、彼に頼んでおいて良かった。

既に、軽井沢町内の「道路情報の案内表示」に“小川町から25Km渋滞中”とあったが、やっぱり「関越」に入った途端にノロノロ運転。

“練馬に出たら環八が混むから「圏央道」で中央高速に入ろう”…と、八王子回りで飛ばしたんだけど、結局着いたのが10時過ぎ。

…と、いうわけで今夜は 「ちあきなおみ」の話は臨時休刊にさせてください。
なんだかこんな「お詫び」ばかり言ってるね。

明日から又、目まぐるしい日々が始まる!
でも、明日は絶対に続きを書くぞ〜!

ほんとかな?

**お知らせ**

11/3に、けやきホールで開催するカラオケ大会 ”全国 歌の甲子園” 出場者を受付けています。(審査委員長 鈴木淳)
10/12〆切のテープ審査を通過した方が出場する事が出来ます。
観覧無料(整理券発行)

詳しくは事務局まで
電話 03-3587-4784 営業時間 月~金 10:30-18:30

メールでも受け付けております。

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2007年9月23日 (日)

新進・作詞家登場その②

軽井沢は急に8度以上も気温が下がって、時折肌寒いくらいの風が吹いてたよ。
今日は、いきなり「ちあきなおみ」の話と行きましょうか…。

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『ちあきなおみ物語』
〜新進・作詞家登場〜②

その作詞家を紹介して呉れた身近な人とは?

その頃、ボクの事務所が赤坂にあった事は、前にも何度か話したと思うけど…。
そこは赤坂の中でも、かなり大きいマンションだったんだよね。

そして、2LDKのこの部屋の持ち主は、「営業を主とするプロダクション」から、やがて「音楽出版社」迄社業を拡大してゆく、Kさんという方だった。

ボクはそのKさんの好意で、その音楽事務所の襖1枚隔てた、隣の部屋を借りていたワケで…。

ボクはこの頃のいろんな出来事を、かなり鮮明に憶えているんだけど、「誰にKさんを紹介して貰ったか」だけが、どうしても思い出せないんですよ。

           *   *   *

…で、このKさんと何度か会ってるうちに「どうせ私の事務所は1部屋しか使ってないんだから、隣の大きい方の部屋使って呉れません?」という、願ってもない申し入れを頂いたんですよ。

家賃はどれ位で?」というボクにKさんは「使って貰うんだから、要りませんよ。」だって…。
「あなたはいい曲作って、歌謡界を元気にして呉れればいいんですよ」。

           *   *   *

「こういう話って、後で、きっと何か有ったんじゃない?」
…と、皆さん思うでしょ?
ところが、本当に「好意だけの申し出」だったんですよ。

結局ボクはそのマンションで何年もお世話になり、そして幾つもの曲を書く事が出来たワケです。

もちろん「ちあきなおみ」の為の曲も…。

今の時代じゃ、あんまり聞けない話ですね。

〜つづく〜

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〜新進・作詞家登場〜①

それにしても、9月の下旬に入ろうというのに、この暑さは何なんだ?

「地球が狂った!」としか思えないね。

           *   *   *

その暑さの中、今日から連休。
皆さんはどう過ごしてるのかな?

ボクはウダルような暑い東京を避けて、又々軽井沢にやって来たよ。

夜、到着した時には、さすがに「涼し〜い!」と思ったので、夏布団を片付けて、少し厚みのある布団に替えたら、明け方に暑くなって、目が覚めちゃったよ。

           *   *   *

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『ちあきなおみ物語』 〜新進・作詞家登場〜①

ポップス系の歌詞を担当して貰う作詞家の名前が思いつかない儘、ボクは「メロディー先行」で曲を書き始めた。

           *   *   *

ピアノに向って「ミシラシラシラドー♪ミシラシラドラミー♪」(専門的になってゴメン!)…と弾いてみた。

ウン!これなら今迄の歌謡曲とは全く「違うテイストの曲」に仕上がる、と確信して、後は興に乗る儘、一気に書き上げた。(実はこれが、「ちあき」のデビュー曲『雨に濡れた慕情』になる訳ですが…)

           *   *   *

さて、メロディーは出来たものの、こんな「変わった曲」に誰が詞を付けて呉れるんだろう?

ボクが毎日、毎晩、「あの作詞家?…それとも、この作詞家?」と、考えあぐねていた時、「まだ新人だけど、とてもセンスのいい詞を書く人が居るんだけど、一度会ってみません?」…と、言って呉れる人が出て来たんですよ。

           *   *   *

「出て来た…」と言っても、実は、ボクの大変身近に居る人からの話だったのです。
だから、その時ボクは 「あゝ、この人からの話では、これは断れないな」と、直観的に思った。
…そして「本当に、いい詞を書く人ならいいな」と、祈るような気持ちだった、

〜つづく〜

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2007年9月21日 (金)

オーディション進行中

今日は朝から自宅でオーディションの為のレッスン。

その女のコの写真を撮ろうと庭に出たら、蚊が多いこと!
慌てて蚊取り線香を焚いて、ジタバタしながら(あまりカッコイイもんじゃないよね。。)撮影を続けたんだけど、ボクはズボンの上から足を刺され、タレントの彼女は顔を刺される始末。

皆さん庭での撮影は完全防備で!(笑)

今日はこれからも忙しくなるので『ちあきなおみ物語』をお休みさせてもらいます。

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2007年9月20日 (木)

『ちあきなおみ物語8』

今日、六本木の事務所に行く地下鉄で、不思議な光景を見たよ。

電車の中でメーキャップをする女性が居るのは、皆さんも時々、目にする光景でしょ?
まぁ、概して若い女性が多いのだけど・・・。

今日ボクが見たのは「どう見ても六十を越えた女性」で、パフで「パタパタ」始めたんですよ。

           *   *   *

普通なら、化粧を始めた女性を「まあ、ハシタナイ!電車の中で化粧するなんて!」と、
苦々しい顔で睨んでいる年代のご婦人だから、ボクは「汗を拭いてるのかな?」と、
初めは気にしてなかったんだけど・・・。

           *   *   *

鏡を見つめては「ファンデーション」を、パフで実に入念に塗り始めたので、「まあ、化粧の崩れでも直してるのだろう」と思ってたら、今度はアイライナーを取り出して、「目張り」を入れだしたんだよね。

それから先は、時々居る若い女性の「傍若無人」な、お化粧の仕方とそっくり。
「アイシャドー」から「口紅」までのパーフェクトゲームですヨ。

           *   *   *

あの年代の女性まで、電車の中で化粧をやり始めたら「どうなるんだろう?」と、少々
ユーウツになって居たら、「乃木坂駅」で危うく乗り過ごしかけて、慌てゝ飛びおりましたよ。

           *   *   *

・・・でも、「電車の中で化粧をする女性」には不思議と美人が居ない・・・と思いません?

           *   *   *

「どんなに変って行くのかな?」と半分、期待を込めて見ていても、
「何だ、ちっとも変んないじゃん!」って感じ。(笑)

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『ちあきなおみ物語8』~両A面作戦続き~

丹古さんが2~3日して持って来て呉れたのが、「今夜もかわくの 悲しい唇」で始まる『かなしい唇』の詞だった。

ボクは演歌風ではあるが、全く「コブシ」の使えない歌謡曲に仕上げてみたつもり。

「サビ」の  ”別れのキッスを濡らした雨が”  の所を、レッスンでは「あまり使わなかった低音の太い声」で歌わせ、  ”あゝ・・・私の愛はどこへいったの”  の最終行で、今迄鍛えに鍛えた歌い方で歌わせてみた。

           ☆   ☆   ☆

A面、B面の決定はなかなか結論が出なかった。

結局「両A面」(※注釈)扱いとして発売した。

           *   *   *

いきなり「発売」の話になったが、この時点では、1曲分しか出来てない訳なのだが・・・。

           *   *   *

ボクの立てた作戦、つまりジャズテイストの「ポップス風」の曲がまだ出来ていない。

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「ちあきなおみ」をデビューさせる為に先に出来た「歌謡曲系」の『かなしい唇』のジャケット写真。

※注釈
・2曲のどちらがA面と決めず、雑誌の表紙にあたるジャケットも左右両開きにつけて、どちらからも「表紙」と思わせる。
・その内、リスナーがどちらを愛唱、愛聴して呉れるかで、改めてメイン曲を決定する。

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2007年9月19日 (水)

オーディション&ちあきなおみ物語7~両A面作戦~

今日はSONYレコードで「松田聖子」のプロデューサーだった若松宗雄さんが「歌を聴いてやって」と女の子を1人連れて来て呉れた。

身長170cm。足が長くて、歌は素直な、笑顔のいゝ子だった。

           *   *   *

う〜ん、正直云ってみんな可愛くて、明るくて、歌が素直で、嬉しい悲鳴といった所。

   ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

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『ちあきなおみ物語7』~両A面作戦~

「急転直下」で決まった「デビュー」だったけど、一方の「ちあきなおみ」(まだ、この頃は「瀬川三恵子」だが…)の心情はどうだったのだろう?

           *   *   *

一年半もの間ー、

「♪好きなの〜、好きなの〜、死ぬ程、好きなの〜」(西田佐知子唄、"死ぬまで一緒に")や「こんなに〜、別れが〜苦しい〜ものなら〜」(西田佐知子唄、"女の意地")など…と、限られた曲のレパートリーで

①フレーズの語尾をストレートに伸ばす練習

②鼻の上の方に声を軽く抜いて歌う練習

③溜息まじりの発声の仕方

④ここから後は企業ヒミツ(笑)

           *   *   *

…などなど、来る日も来る日も同じ事を繰り返し、しかも「大好きで自信のある演歌」を歌うことは一切、禁止され「冗談じゃないわよ!!」と思ったのに違いない。

…にも拘らず、彼女は実に「オトナシク」、無駄口を叩かず、年下の(特に年少の)子供には優しいお姉さんぶりだったのが印象的だった。

   ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

…ところで、曲の傾向の「両面作戦」を立てたボクは、「演歌の匂いを残した歌謡曲」の作詞を、「霧にむせぶ夜」でコンビを組んだ『丹古晴己』氏に迷わず依頼した。

丹古さんにはまず、彼女の「生の声」を聴いて貰った。

「えらい(とても)、いゝ声ですね、セクシーじゃね。こりゃ売れるよー!」と、少し広島訛りの混じった声で喜んで呉れた。

彼女はそんな二人の会話を、照れたような表情で、少しうつむき加減に聞いていたが、今度は大きな目で丹古さんの顔を見て「よろしく、お願いします」と、これも照れたようなお願いの仕方だった。

〜続く〜

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お知らせ

今度11月3日(日)に、ボクが主催しているイベント、『全国歌の甲子園』(カラオケ大会)東京地区大会があります。

当日はボクの他、レコード会社プロデューサーなどが直接コメントをする、という本格的なもの。歌唱曲は演歌・ポップス問わず。

東京近郊の歌自慢の方、是非挑戦してみてください。

詳細はボクのホームページで。

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2007年9月18日 (火)

お詫び

今日いろいろ打合せがあっていそがしくしていました。

ということで楽しみにしている皆さんゴメンナサイ!ちあきなおみ物語はお休みさせて頂きます。

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夕方にO'sのサトミがボクの事務所に遊びにきたよ

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『ちあきなおみ物語6』

今日は早速、昨日の続きに行きま〜す。

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『ちあきなおみ物語6』

「どうすれば魅力的な歌手を作れるか?」ばかりを考えていたボクは、今度は「どんな曲を作れば売れるのか?」という宿題を貰った。
坂田さんから「あんたに全部任せるよ!」と、言われたも同然だからね。

…だって「すっかり歌い方が変わった」改造の結果も聴かないまま「デビュー決定」なんだから。

           *   *   *

この歌手を売る為には、多少「演歌の匂い」の残った歌謡曲にしないと、大衆は買わないんじゃないか?

「このポップ歌謡全盛期に演歌じゃダメだ」

「何の為にこの歌い方を叩き込んだのか?」

ボクは厭という程、「自問自答」を繰り返した。

           *   *   *

…で、結論は
「よーし、迷ってても仕方ない。2本立てだ!」
…と決めたわけですよ。

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2007年9月17日 (月)

《お詫び》

《お詫び》

「ちあきなおみ物語」⑤を17日(月)の18時30分以前に読まれた方に「お詫び」します。

「パソコン入力」をミスして、文章が途中で切れてしまいました。

           *   *   *

18時30分分に修正しましたので、出来ることなら、もう一度読んでみて下さい。本当にゴメンなさい!

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『ちあきなおみ物語5』

この前オーディションに来て仮採用した「ひとみ」君を自宅に呼んで、レッスンを付けてみた。

歌は「カラオケに行ったことがある」程度で、レッスンは初めてだそうだけど、それにしては随分「呑み込みが早い」。

スポーツに先天的な運動神経があるように、歌にも似たものか有るんだね

…では、昨日の続きにいきます。

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『ちあきなおみ物語5』

こうしてボクは坂田部長との約束どおり、「瀬川三恵子」くん(後の“ちあきなおみ”)の「ギンギンのコブシを取る」事に成功し、彼女自身もジャズやポップスの表現を身につけて呉れたんだよ。

           *   *   *

ボクはコロムビアレコードに電話して
「坂田さん、大変遅くなりましたが、三恵子ちゃん頑張って呉れました。もう何時でもデビュー出来る状態ですよ!」と報告した。

すると、「そうですか。それはそれは、ご苦労さまでした。じゃあ早速デビューの準備をしましょう」という返事。

別に「コブシが取れた歌」を聴きに来るでもなく「じゃあ、デビューの準備」だって…。

瀬川本人とボクの、「1年半かかった奮闘ぶり」にしては「えらく簡単」に話が決まったもんだ。

           *   *   *

それから1週間後、坂田さんは
「先生、早速、作曲にかかって下さい! 彼がディレクターです。」…と、連れて来た木村という社員をボクに紹介した。

「なんと、やることが早いんだろう」。
驚いたボクだが、そういえば坂田さんはゴルフのプレーも物凄く早い!

打ったと思ったら早足でボールの所に行き、クラブのスイングも「イチ!カーン!」打ったら、即、スタスタ。
(普通の人は、ゆっくりボールに近づいて、2、3度素振りをやった後、イチ、ニーノー、サーン!カチーン!」なんだけど…)

           *   *   *

この、「せっかち」オット失礼!「スピーディー」な決定で、ボクは大慌てで「作品作り」にかゝるワケであります。

〜続く〜

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2007年9月15日 (土)

「ちあきなおみ物語4」

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〜ちあきなおみ物語 4〜

毎週2回、月8回のレッスンを、彼女は1度も休まず、1年半の間、通い続けた。

彼女はボクの「猛特訓」と、「約束」を守ることで、見事にポップス系の歌が歌える歌手に変身して行ったんだよ。

こんな努力をした賜物で今、皆さんから「ちあきなおみは素晴らしい」と言って貰える素敵な声と歌唱力を身に付けた訳ですよ。

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デビューの後、ボクの実家「防府天満宮」にヒット祈願の参拝。
神妙にお参りをするボクと「ちあきなおみ」

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お参りのあと、境内の露天で「綿飴」をしゃぶるボクと「ちあき」

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2007年9月14日 (金)

「ちあきなおみ物語3」

今日は学院のレッスン日。

12:30から"Lisa"、2番目は「入山アキ子」。(二人とも、このブログではおなじみの名前だね)

レッスンの間に「飛び入り」で20才の女の子がオーディションを受けに来た

ボクのホームページの「急募!!女性歌手緊急オーディション」を見て履歴書と本人歌唱のCDを持って来たというので、急拠、面接しちゃった。

           *   *   *

こゝ数日、ホームページの「急募!!」をみて、応募して呉れる人が多いけど、すぐにデビュー出来そうな逸材は、なかなか居ないもんだね。

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~ちあきなおみ物語 3~

瀬川三恵子(後の「ちあきなおみ」)のレッスンは次の週から始まった。

ボクは彼女の「天性」を壊さないよう注意しながら、猛烈な発声練習を繰り返した。

彼女の力強い発声とバイブレーションは、ある一面では武器ではあったんだけど、ボクは敢えて「ハスキー」なストレート・ボイスを教え込んだ。

「ジュリーロンドン」(1950~60年代にアメリカで活躍したハスキーボイスのジャズシンガー)の歌を聴かせて、「こういう歌い方を憶えようよ。英語の意味は判らなくても、心に沁みるだろう?」と言うと、「はい!いゝですね。頑張ります…。」相変わらず、ポツポツと小さな声で答えて来る。

あくまでも「オトナシイ」。控えめな、そしてペースを崩さない「瀬川三恵子」くんであった。

ジュリー・ロンドンの他に具体的なレッスン曲は西田佐知子が歌った「アカシヤの雨が止むとき」「東京ブルース」「女の意地」などで、どれも典型的なストレートボイスで歌ったもの。

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その他に、ボクが最も厳しく約束させた事は「これから一年間、絶対に演歌を歌わないこと!」であった。

- 続く -

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2007年9月13日 (木)

曽根由希江レッスン&ちあきなおみ物語2

今日は、au by KDDI のCM「誰なの?」を演じてる、ゆっち(曽根由希江)くんがレッスンに来たよ。

夜は彼女が所属している尾木プロのT氏と、CD発売を予定しているレコード会社のM部長とで会食することになっている。

           *   *   *

彼女は週2回のbayFMや、B.Sフジの仕事などの報告を詳しくして呉れたので、ボクは「歌の事を忘れてしまわないように」と話しておいた。

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ちあきなおみ物語-続き-

彼女の歌う「兄弟仁義」は、コブシがクルクルと廻った不思議な雰囲気の歌になっていた。

ボクが「オモシロイじゃないですか!歌唱力ありそうだし…」と言うと、坂田部長は「そうなんだけど、今の時代にこんなコブシの廻った演歌じゃ、とてもデビューさせられませんでしょ?」…と、少し福島訛りの混った、しかし穏やかな口調で笑いながら、彼女とボクの顔を交互に見た。

(この頃は長く続いていた「演歌時代」が終わって、ボクが曲を書いていた伊東ゆかり小川知子。それになかにし礼さんの詞、鈴木邦彦さんの曲を歌っていた薫ジュンや、奥村チヨなどが歌う『ポップ系の歌謡曲全盛時代』だった。)

           *   *   *

坂田部長は続けて…
「そこで、先生。先ずこの子のコブシを取って下さいョ。ポップ系の歌が歌えるようにして呉れませんか?」という話になった。

ボク「うーん…。このコブシを取るんですか?こりゃ大変ですね(笑)」

坂田「1年でも、2年でも先生にお預けします。先生から"OK"が出たら、その時点で、デビューさせますから。」

ボク「判りました。やってみましょう!」…という事で話はまとまった。

           *   *   *

ところが、これは後から判ったのだが、彼女は小さい頃、ジャズポップスを歌って「米軍キャンプ廻り」をやっていたんだそうな。

その後、演歌を歌ってドサ(地方)廻りの仕事をしていたそうだから、その時に「演歌のコブシ」を強調して歌う癖が付いてしまったのだろう。

- 続く -

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2007年9月12日 (水)

歌謡コンサート田川寿美&ちあきなおみ物語

きのう、夕ごはんを食べながらテレビを観てたら、NHKの「歌謡コンサート」をやっていた。

「出会いと別れの港町」という番組のテーマだったので、森進一鳥羽一郎大月みやこ…と、ベテラン歌手の人達が歌っているのを聴きながら、このテーマじゃボクの作品なんか出ないなと思って箸を動かしていたら、突然、田川寿美の顔が出た。

「あ、"トシミ"が出てるんだ」と言ってたら『哀愁港』を歌いだした。

「なんだボクにも"港の歌"があったんだ」という感じで、変な納得(なっとく)。

***

そこで、軽井沢の花火大会を見ている「トシミと我が家族」の写真を披露しましょう。

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左から、トシミ、次女、妻、ボク。
この表情をみると、デビューしてから2年目ぐらいかな?

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「お待たせしました!ちあきなおみ物語」

***

昭和43年の春、赤坂のマンションにあったボクの事務所にコロムビアレコードの坂田部長から「ちょっとお会いしたい」という電話があった。

コロムビアとは「目と鼻の先」程に近い距離だったので「いゝですよ。」…と答えてから5分後にはもう、部長と背が高くて(当時としては)髪の長~い女の子が玄関に立っていた。

「この子は実は、オーディションを受けに来た子なんですが、即デビューという訳には行かないので、先生が鍛えて呉れませんか?」

ボクの質問に、「瀬川三恵子」という名前と「髪の毛は赤ん坊の頃から切ってないので、伸ばしたらお尻より下迄行っちゃいます」…というような話をポツポツと、あまり人馴れしてない感じでおとなしく答えるのがとても印象的だった。

ボク「何か歌ってみて呉れない?」

瀬川「じゃあ、北島三郎さんの"兄弟仁義"を歌います」

ボク「え?男の歌だけどいゝの?」

瀬川「はい!大好きなので」

ボク「なら、まぁいゝや。歌ってごらん」

という「やりとり」の後、歌い出したら…。

瀬川「親の血を引く~ぅ、兄弟ぃ~よォり~ぃ~は~」

…と、来た。

つづく…

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【写真】
後列左から、ボクが元・勤務していた「三田尻女子高校」の教頭、ボク、そして女子高の理事長、前がデビュー直後のちあきなおみ。
(理事長さんのお宅が写真スタジオだったので、「先生と一緒にガンバッテね!」…と、記念撮影)

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2007年9月11日 (火)

女泣かせ!?

実はボクのホームページで募集中の”プロ歌手をめざす女の子大募集”「緊急、女性歌手オーディション」に、昨日4人の女の子が応募して来た。

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その昔、ボクの学院で歌の勉強をしていた「元弟子」が現在、プロダクションを経営しているのだけど、その彼が4人を引率して来たワケ。

4人の中の一人が、とてもいい歌を歌って呉れたので、仮採用して、とりあえず今週から特訓を始めることにした。

面白いのは4人の内、仮採用した子だけが歌の経験も、自信もなく、ただ社長に言われて

連れて来られた、というのだから、世の中オモシロイね。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

そして、今日クラウンレコードの「瀬口侑希」クン(女性です)の歌ロクオンをして来た。

前にも書いたけど、曲目は故・黒木憲のミリオンセラー『霧にむせぶ夜』

***

男性歌手のヒット曲を女性歌手が歌うという企画が「どうなるのか?」

チョットだけ不安を感じながらスタジオに入ったのだが、結果は成功だったヨ(笑)

***

録音の途中いろんな歌い方を指導している内に、彼女の目が段々赤くなって、

遂に涙がこぼれてきた。

ボクはびっくりして、「ボクは怒ってないんだけど、怖いの?」と聞いてみた。

「違います。どうしてだろう?」という返事。

スタッフも「いやー。彼女がスタジオで泣くのは初めてです。」というばかり・・・。

もしかしたら、思うように歌えない自分が腹立たしかったのか?

それとも、遂に歌の中に入り込んでいって感動したのか?

 

・・・とにかく、結果としてはその涙の後(あと)の録音がとても良くて「OK」をした。

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  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

今日は話が長くなったので、「ちあきなおみ物語」は延期させて下さいね。

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2007年9月10日 (月)

「ちあきなおみ」ベストコレクション

昨日、9月9日の産経新聞に「ちあきなおみ」ベストコレクションの全面広告がでていた。

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第1巻にはボクの作品が9曲入ってるらしい。

彼女はデビュー前から1年半近くボクの所で特訓をしたので、レコード発売を果たしてからはボクの曲を立て続けに歌わせた

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  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

だからボクの手元には未発売の曲が何曲か残ってるので、これはボクだけの「宝物」かもしれないね。

…という事で、デビュー前からレコード発売、やがてヒット曲を出してスター街道を歩き出す頃までの話を、少しずつ書いて、読んで貰おうかなと思ってます。

ボクがマネージャーと喧嘩をして曲を書かなくなった経緯(イキサツ)まで書いちゃおうかな?

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2007年9月 9日 (日)

『誰なの?』

最近始まった【KDDIの携帯】auのコマーシャルで、「誰でも割」の女性篇、見ました?

「仲間由紀恵です…」という声がするんだけど、テレビ画面には「別の女性が写ってる」…あのCMですよ。
「あれ誰?」で始まって、auの携帯は“誰でも割“の説明があって、その後もう一度男性の声で「だから誰なの?」っていうアレです。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

実はその『誰?』は我が学院のホープ「曽根由希江(ゆっち)」なのであります。(ちなみに所属のプロダクションは仲間由紀恵さんと同じ「プロダクション・尾木」です。)

まだ見たことのない人は、テレビ画面の中のテレビだから、よく注意して見てね。

その内、歌のCDも出すので、その時は応援してね。
ヨロシク!

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2007年9月 7日 (金)

『コーラス・コンクール』完結編

教室ごとの歌声が音楽的なものに変っていったその頃から、山口放送はボクに地方企業スポンサーのCMソングの作曲を頼んで来たのですよ。「国語教師」のボクに…。(勿論、ボクは「音楽の先生じゃない」とは言わなかったけど(笑))

***

その内遂に、ドラマの音楽まで頼まれるようになったボクが、或る日、「あーァ、明日徒然草の授業か!と思わず口に出すと「えっ!音楽の先生じゃないのですかッ?とプロデューサーは絶句…。

***

こうして、国語の先生だったボクは何時しか「もう一度東京に出て、本職の作曲家になりたい」と思うようになった訳であります。

***

ハーイ。長い間、退屈さまでした。

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【写真】
各学年から美人(ち、違う!間違えた!)歌の上手な選抜チームで市民音楽祭にも出場する迄になったのだ。
指揮するのは、勿論「国語の先生」のボク。

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2007年9月 6日 (木)

『コーラス・コンクール』続き

蜂の巣をつゝいた様な「ワーワー、ガーガー」は広い校舎の中だけの事とはいえ、学校の周囲にも当然聞こえていたワケで…、

ある日「山口放送」が取材を申込んで来た

***

「三田尻女子高校はこんな変った催し物を、学校上げて取り組んでいる。お蔭で学校の雰囲気が明るく元気になった」というような紹介だった。

***

この放送をキッカケに、同僚達(…といっても殆ど年上ばかり)のボクに対する態度はガラリと変っていった。

***

やがて、教室ごとの歌声も、段々、音楽的なものに変り「鈴木先生、聴いて下さい」と各クラスから指導を頼まれるようになった。自分達だけの練習でも変れば変るもんですネ。

<つづく>

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2007年9月 4日 (火)

『コーラス・コンクール』

暫らくぶりの東京の暮らしは、「暑い!」ばかりでなく、なんとなく慌ただしいなぁ。

ところで昨日の「ブログ」に対して、なんと再び「次女」さんからコメントがよせられたよ。

いわく、「自分の全く知らない父の話がとても興味深い。早く次が読んでみたい。…でも、娘が読んでると思うと書きづらいかな?」だって。

それより、実は今日もブログをサボろうと思ってたけど少しは書かなきゃいけないかな?

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

クラス対抗・コーラス・コンクール』の企画が発表されると、生徒達は早速それぞれのクラスで選曲した曲目の練習を始めだした、
生徒達が何故あんなに一生懸命、歌に熱中しだしたのか?今でもポクは不思議なんだよね。

きっと女子高校らしく毎日が平和で、お行儀よく暮らしてた所にヘンな若い先生がやって来て、今迄と違った『非日常的』な放課後の時間が出現した事が、大いに刺激的だったんだろうね。

とにかく放課後になると、毎日、各教室から、一斉に合唱の練習が始まるのだから。
しかも全然違う曲をやるんだからね(苦笑)音楽なんてもんじゃない!
校舎中が、まさに「蜂の巣をつついた」ような騒音だらけになってしまうのだ。
同僚の先生達ときたら、最初皆「なんだこりゃ!」…と、唖然とした顔をしてたのが、その内 、ボクの顔を見て、ヒソヒソ話をし始める。
要するに「顰蹙(ヒンシュク)の嵐」だったというワケ。

「いや〜、えらい事はじめてしまった!」…と、ボクは毎日の放課後が身の縮む思いだったよ。

ところが、思わぬ「助け船」が出て来るのが人生のオモシロイ所だよね。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

その頃の写真が出てきたので添付しておきますね。

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写真① 音楽之友社の社員旅行にて…右は、特別世話になった中曽根編集部長

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写真② 雑誌編集時代
まだ病気になるなんて思ってもいない頃。

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2007年9月 3日 (月)

「帰り支度」

明日の昼に、軽井沢から引き上げることにした。

幾つも作曲の宿題を抱えてやって来たのに、五線紙もあまり埋まらない儘、「持って帰る鞄」の中に逆戻りだ。

ま、それだけ切羽詰まってなかったと言えば言えるのだが…。

軽井沢用に、「東京では暑すぎる洋服」を持ってきたんだけど、さすがに今年は殆ど袖を通さない儘、「持って帰る鞄に詰めた。(軽井沢は東京より約7〜8度気温が低い)

それだけ今年は軽井沢まで暑かったという証拠だろうね。

…という訳で、今も帰京の為の荷造り中。

今日はブログの「おしゃべり」もこの辺で閉じさせてくださいね。

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2007年9月 2日 (日)

『女子高の先生』続き

昨日のブログを読み直してみた。
イケナイ!イケナイ!
また、ボクの「ひとりよがり」が始まった。

これでは、女子高の国語の先生が、「どういう訳で作曲家になったか?」に辿り着く迄に1年くらい掛かりそうだ。先を急ごう。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

故郷の病院で入院することを決めたボクは、東京駅まで送りに来て呉れた友人達の『励ましの声』を背に、「傷心の都落ち」をして入院生活に入った。
…その時の『励ましの声』が、後々、ボクの作曲家への転身の「切っ掛け」になるワケだが…。今は省略しておきます。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

2年間の入院生活を終えて、(実はここでも作曲家への道を歩む象徴的な事が起きるんだけど、これもいつか機会があれば書いてみよう)退院したけれど、元の編集者に帰ることは病気の再発を招くんじゃないかと怖くなり、大学時代に履修した「教員免許」を活かして、地元の「三田尻女子高」へ第二の就職をする。

ここから、ボクの「国語の先生」生活が始まった

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

男の戦場みたいだった雑誌社から、急に、何処を向いても女ばかりの「女子高」と環境が激変したボクはかなり戸惑った。

それでも、ボクの長所でもあり、最大の短所でもある「何にでも必死にノメリ込む」癖がここでも出始めて来るワケ。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

女生徒相手の授業に慣れて来ると、この平和な毎日が退屈になり始めてきた。

そこで新入りの教諭の癖に、校長と教頭に対して、ある提言をしてしまったのだ。
どんな提言かというと…

「今のわが校の生徒は、おとなし過ぎて迫力がないですね。学校をもっと活性化するために、“クラス対抗のコーラス・コンクール”をやったらどうでしょう?」という提案だ。

まだ、バレーボールがそんなに強くなかった時代の話だから、校長も「なんとか生徒に積極性を持たせたい。うん、やってみますか」…と、以外にもボクの提案は簡単に採用されてしまった。
「その代わり、鈴木先生、全てあなたが責任を持ってやって下さい。そして、これは放課後だけに限りますよ」と、釘をさされた。

ところがこの事で校内は大変な騒動になってしまうのだが…。

ゴメンナサイ! また長くなってしまった。
続きは明日まで待ってね。

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2007年9月 1日 (土)

『女子高校の先生…』

『世界女子バレー・ボール大会』で大活躍した“栗原めぐみ選手”の母校「三田尻女子高校」は、ボクが昔、教鞭をとっていた学校だ、とブログに書いた事がある。

その学校で「国語」の教諭だったボクは、どうしても『作曲家になりたい!』と強く思うようになった。
…それでは、女子高で国語を教えていたボクが、どうして「作曲家になりたい」と思ったのか?

話は何年か前に溯らなければならない。

* * *

大学を卒業したボクは【音楽之友社】という楽譜や音楽関係の書籍を出版、販売する会社に就職した。

そこでは、いきなり『教育音楽』という月刊誌の編集を担当させられることになった。

  ♪    ♪    ♪    ♪    ♪

雑誌編集の手ほどきは上司の坪内さんという部長から受けたんだけど、「鈴木君は、初めての仕事にしては憶えがいいな」とオダテられた。

実は、初歩的なレイアウトとか、校正のやり方など、高校の新聞部で経験があったのだが、その事は内緒にしてたせいだろう。

それでも、部長には怒鳴られ、教えられ、失敗しながら雑誌作りのイロハから叩き込まれ、夢中で憶えた。
そして技術的なことだけじゃなく、執筆者に原稿を催促するコツや、印刷屋さんに工期を急がせる「喧嘩の仕方」まで教え込まれた。
…ま、とにかく入社一年目は食事する時間も、眠る時間も忘れて雑誌作りを頑張ったボクは、次の年の四月に努力賞を貰い、その上、「“音楽芸術”の編集長に任ず」という辞令を貰うことになった。

ところが…「好事、魔多し」の諺どおり、ボクがその辞令を見た翌日の『社員健康診断』で、「肺結核、直ちに入院治療の要あり」という診断をされたのだ。

寝食を忘れ、仕事に熱中した報いがこれだった訳。

誰が悪いのでもない。ただ自分のコントロールが悪かった事も忘れて、ボクは会社の壁に貼ってあったその「編集長に任ず」という辞令を引き裂いてしまった
〜続く〜

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